2017/07/25

なんだかんだ言っていても結局、日々の生活



新しいところへ行く
新しい何かに参加する
新しいことを学ぶ
ことをしても
その時間だけそれをしても
結局のところ
普段の生活にそれが落とし込まれない限り
学んだことは何の意味もない。
行くことが目的になっていないか?
参加することだけが美徳になっていないか?
学んだだけで満足してないか?
そこから得たものの
そもそも本質はちゃんとものにできているのか?
方法だけ学べればいいと思っていない?


多くの場合
その上部を得て満足してしまう。
こてさき。
だから
その時間だけいいことしても
普段の生活に変化なければ
選ぶものが変わらなければ
心が変わっていなけれ
全く意味がない。


いや
そういう機会を設ける側にも問題があるだろう。
本当に参加した人の心を入れ替える気持ちで
それをしているかどうかだ。
きっかけを作るのは大事だが
きっかけを作るだけの気持ちでそれをしても
本当に心を入れ替える人は生まれない。
本気で参加者全員の心を
入れ替えるつもりで取り組んでも
ほんの一部の参加者にしか反応が起きないのが現実だ。


そう
普段の生活が変わるほどのことを
起こすのには相当のインパクトが必要だ。
東日本大震災で変わった人をよく聞くが
それくらいのことがないと変われないのだと
悲観的になってしまう。
それでも変わらない人もいるからね。


だいたいはこう呟く。
「面倒くさい」「楽しくない」
今までうん十年培ってきた
考え方、行動、ものの見方
これを変えるのは相当面倒くさい!(笑)


だから
楽な方、手軽な方、今まで通りな方を選ぶ。
だからそれに応えるサービスや商品は売れる。
そうしてまた
より楽な方、より手軽な方を選ぶ。
当然、生きる筋肉は落ちる。。。
頭使わない、知恵使わない、体動かさない。
そんな人ばっかりになったら
まぁ、問題や事件なんて日常茶飯事。
誰も解決できないし、誰もおさめられない。


お金を払って済むものに
あえて頼らないことをしている
生きることが
どれだけ大変でトレーニングなことかがよくわかる。
例えば食事1つとっても
ぬか漬けのメンテ、酵素玄米のメンテ
朝、昼、晩の食事
時期がきたら
味噌仕込み、梅仕事などばど
やることはたくさん。
これに掃除洗濯お世話が入れば
あっという間に1日が終わる。
正直、サラリーマンやっている場合じゃない(笑)


昔の人は、みな生きるのに一生懸命だった。
ヨガもサーフィンも勉強もしている暇は本来はない。
体型維持とか、ファッションとか気にしている暇がなかった。

だから
お金を払えば済むことがあることは
とてもありがたいことなのだ。
でも
こればかりになってしまうと本質が欠落する。
そのツケは痛い。
明日来るかもしれないし
10年後くるかもしれない。
そのツケはいつくるかわからない。


そのツケもまたお金だけで解決しようとするのか?
はたまた知恵を使うのか?


お金で解決できることが100%だとしたら
夕方のニュースであれやこれやの悲惨な事件は報道されない。
本当にお金がないから起きる事件なのか?
お金がないと解決できないと決めつけている
脳のキャパには問題はないのか?
お金がないから事件が起きると決めたら事件は解決しない。
世界中のありとあらゆる全部の問題を
解決するのに一体いくらかかるというのだろう?


生きる筋肉を鍛えてくれるジムがないと
鍛えられないなんて言わないで
地球で生きることがどういうことか
本質をしっかりキャッチできる人が増えることを願う。


生きることは学びの連続。
つまりそれはトレーニング。
そして
その命尽きるまで続くトレーニング。
ストイック?
いえいえ、昔はこれが当たり前。


日々の生活が変化していないと
そのやっていることは意味をなさないのだよ。